豊臣政権が豊臣秀吉一人で保っていた
のと同様に
徳川政権も徳川家康一人で保っていた

1611年に京都の二条城で
徳川家康が豊臣秀頼と会見します
豊臣秀頼は噂では
・図体が大きく
・ボケ~っとして凡庸だという
ことだった

しかし家康は実際に秀頼に会ってみて
・なかなかの器だ
・もしかすると徳川政権は自分が亡き後ひっくり返されるかもしれない
という危機感を持ったらしいですよね

つまり
このことが大阪の陣のきっかけになった
なので
「国家安康」「君臣豊楽」などという
愚にもつかないような「いちゃもん」をつけて
徳川家康は無理やり豊臣秀頼に戦争を仕掛けたわけですよね

結果
豊臣秀頼は滅亡します

この時に
秀頼が助かるには
・大阪城からの退去
・淀君を人質に出す
・浪人を全員大阪城から追い出す
この条件を飲む必要があった

しかし
上記の2つは淀君が反対
最後の一つはもう無理だったんですよね
「庇を貸して母屋を取られる」
豊臣秀頼は徳川家康と戦うにあたって
四方八方から浪人を集めた
それもかなりの好条件を出して釣った

(続く)