(続き)

確かに
浪人は莫大な数集まった
さらに
秀頼ら大阪城の首脳なんかより
遥かに戦争の仕方を知っている

そのため
あっという間に
「主客転倒」状態になってしまい
大阪城は浪人の城となってしまう
そのため浪人を追い出すという話しすらできなくなってしまった

それにしても
徳川家康のやり方は「アコギ」ですよね

「「アコギ」
アコースティックギター?」
ちゃいまんがな
「アコギ」は「阿漕=強欲でやり方が義理人情に欠けあくどいさま」
でんがな~


仮にも徳川家康は
豊臣秀吉政権では重役のトップだったわけですよ
それが秀吉が亡くなるまでおとなしくしていて
それが秀吉が亡くなるとその子供を攻め滅ぼして
政権を乗っ取ってしまうわけですからね

ただ
あのまま秀頼が政権を取っていたら
日本という国自体が危なかったかもしれないですけどね
まあ
このあたりは
非常に難しい問題を秘めているのかもしれませんけどね

さらに
ここを掘ってしまうと
もっと「アコギ」なのは
実は織田信長の家臣たちですよね
織田信長の家臣たちは
織田信長が亡くなると豊臣秀吉になびいて
さらに
豊臣秀吉が亡くなると徳川家康になびいて
家を存続させます

当時は戦国時代で
「強いものが政治をすればいい」という考え方で
なので
この行為は正当化されたんでしょうけどね
まあ
いやらしい表現を使うと「節操ない」ですよね

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なんにしても
徳川家康の偉いところは
自分が武力で日本を統一しておきながら
「合議制」「組織制」を整備して
「文」で日本を運営するという方針を取ったことですよね

(続く)